東関東大震災が起きてから9日間が経ちました。
被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
すべてのリハを中止にして、家に籠ってニュースを観ながら、
何度も何度もブログを書こうと思いました。
でも、何を書いたらいいのかまったくわからない。
読んでくれた人の心を暗くするようなブログは書きたくない。
でも、キーを打ち始めると画面に現れるのは私の不安を宿した化身のような言葉ばかり。
行事にこだわる私がホワイトデーもすっ飛ばして雛祭り以来ブログの更新をしていないことで、心配して連絡をくれた友達もいました。有難いことです。
19日に熊本で友人の結婚式があり、18日に旅立ちました。
地震後、初めての遠出です。電車に乗るのも初めてでした。
駅は薄暗く、節電のためにエレベーターもエスカレーターも動いていません。
電車の中の電気も消え、暖房も入っていません。それでも、寒い車内の中で、震災が起きた後も変わらず働いている人たちのお陰でこうして移動が出来ること、友人を祝いに行けることを全身で有難いと思いました。自分の目で確かめに行けない被災地の様子を、刻一刻と変化する今の状況をニュース等で把握することと同じくらい、自分の住んでいる街の動きもきちんと把握することが大切なように思えました。
震災後、スーパーマーケットには行きました。棚はからっぽ、なのにレジは長蛇の列。いつもは静かな田舎のスーパーが異様なまでに騒がしいことで、私の胸はざわざわしました。たぶん、ちいさな例えでいうと、東京の被災状況はそんな感じだと思うのです。物がない、お店が営業できない、一度外出したら帰れないかもしれない、いまも小さくはない余震がたびたび起こる・・・これからどうなってしまうのだろう。
宮城県や福島県の被害に較べれば被災したとは言い難い東京近郊は、みんなの胸がざわざわしていて、その空気に飲まれているというのが現状です。
そんな東京を飛び出して辿り着いた熊本で、
私は一人で一軒のカフェに入りました。
ランチタイム17時まで・オーダーストップ16時半と書かれたそのお店のドアを、16時半過ぎていたけど押してみたら開きました。いいですか?という私を、もう片付けムード満載だったにもかかわらずどうぞどうぞと入れてくれました。席に着いて時間を見ると16:50でした。
そこのお店はランチなのに、スープからデザートまでを順番にコース形式で出してくれて、時間を大幅に過ぎているのにまったく急かさずに出してくれて、余震の心配もなくニュースも点いていない場所で私はひさしぶりにゆっくりとした気持ちで食事をしました。私の心が落ち着いたからって、ニュースが聞こえてこないからって、被災地の現状は何ひとつよくなったわけではない。むしろ、日本の上の部分では、今この瞬間にも何かが起きているかもしれない。それが事実です。それでも私は、ああ、明日はもう東京に帰るけれど、東京に帰ってもがんばろう。そう思えたのです。
私が帰る頃にはもうバイトの女の子たちも帰ってしまって、お店には料理を作ってくれた男性の店員さんと私のみでした。時間が大幅に過ぎていたのにありがとうございますと感謝を述べて、記念にショップカードを持って言っていいですかという私に、ここに来るのは初めてですか?というお店の方。実は今日東京から来たことを伝えると、このお店には東京にも姉妹店があって、大変な状況を聞いています、と労ってくれました。そして、被害がほとんどないこの地で、もどかしい気持ちでいること、何か出来ることはないかと思っていることを話してくれました。私は、このお店でひさしぶりにゆっくりとした気持ちでご飯を食べられて、本当に嬉しかったです、ありがとうございましたと伝えると、お店の人はなんかちょっとウルウルしそうになってて、つられて私もウルウルしそうになってしまったので、そそくさとお店を出ました。お店の方は扉の外まで出てきて、何度もありがとうございましたとお辞儀をして私を見送ってくれました。
そのお店は、私が東京から疲れた気持ちで訪れたことなんか関係なしに優しくしてくれました。たぶん知ってて優しくされても嬉しいとは思うけれど、知らずに受けた親切が、この一週間カチカチに緊張して過ごしていた私に潤いを与えてくれました。困っている人を見たら助けてあげましょう、とは小さい頃から学校などで教わってきたことで、今回の震災でもその日本人の美徳はあらゆる箇所で見受けることが出来、私は改めて日本を好きになりました。けれど今回のように、困っていない人にも親切にすることも、なんだかんだ巡り巡って復興に繋がって行くんじゃないかと、私はそう思ったのです。
夏目漱石が熊本で2年間暮らしていた家。